明治維新は、東西文明の融合を促進し、日本をして封建的制度から近代的立憲国家へと発展していく方向を決めた政治改革でした。それにより、日本が世界五大強国に列せられる基礎が作られたのです。その後日本は、第二次世界大戦に敗戦国となりましたが、焦土の中から立ち上がり、ついに世界第二位の経済大国を創り上げました。政治も大きく変化しました。民主的平和国家として生まれ変わり、世界各国との友好・共存関係を築いてきました。
しかしながら、現在の日本は戦後に於ける種々の束縛から抜け出ることが出来ず、窒息状態に置かれています。
今こそ、明治維新と並びうる平成維新を行うべき時でしょう。そこで、江口克彦先生に倣って、私も竜馬の「船中八策」に託して、今後の日本の政治改革の方向についての私見を、若い皆さんにお話してみようと思います。日本の内情について台湾人である私があれこれ申し上げるのは差し出がましいことと承知してはおりますが、日本の外側の、心ある友人からはこう見えるということでお聞きいただければと思います。
ではまず、「船中八策」の第一義です。
第一議・・天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
何よりもまず、主権の所在を正さねばならないということです。戦後の日本は完全な自由民主主義国家となりました。しかし、政治家と霞が関官僚と一部の業界団体が癒着する既得権政治が今なお横行しており、真の意味で国民主権が確立しているとはいえないのではないでしょうか。
官僚主導政治を許している根本原因は、私の見るところ、総理大臣の政治的リーダーシップの弱さにあります。日本の総理大臣は、アメリカ合衆国の大統領や台湾の総統のように、国民の直接投票によって選出されていません。小選挙区比例代表並立制という特殊な方法で衆議院議員が選ばれ、その議員の投票結果で総理大臣が決まっています。総理大臣の政策実践能力が弱いのは、ひとえに国民の直接的な支持を得ていないことによるものと考えます。
しかも、一般の国民が、国会議員になることは容易ではありません。その典型が世襲議員ですが、彼らは、父親から、たとえ能力がなくとも、旧来の地縁、血縁を引継ぎ、担ぎ上げられ、議員に決まってしまっています。いわば、烈々たる使命感、日本という国を良くしたい、世界から尊敬される国にしたいという強烈な志を持って政治の道に進むのではなく、単なる職業とか家業として政治家になる議員が多いのではないでしょうか。
このような状況は主権在民という民主主義の原則に反しているのではないでしょうか。また、それゆえに、たとえ総理大臣になっても、志も、実践能力も弱く、国民の期待に、ほとんど応えることもできないということになるのではないかと思うのです。
それは、やはり国民の意思を直接受けていない総理大臣、いわば、総理大臣の後ろに国民がいないからであり、また、それゆえに、国際的においても、自信に満ちた発言や提案をすることも出来ず、さらには世界各国から、必ずしも日本が尊敬されない原因になっているのではないかと思うのです。
第二議・・上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
竜馬は立法府について言及していますが、広い意味での「国のかたち」を論じたものと解釈できるでしょう。今日の日本の「国のかたち」の最大の問題は、都道府県行政が、法的にも制度的にも、霞が関官僚の意向にしばりつけられており、地域のリーダーが十分実力を発揮できなくなっていることではないかと思います。
日本の雑誌、新聞を読んでいると、このところ、日本では、勇気ある知事の人たちが出てきて、国政にも影響を与えるようになってきているようです。すみやかに霞が関官僚体制、言い換えれば、中央集権体制を破壊して、「新しい国のかたち」に転換する必要があるのではないかと思います。最近、日本では、地域主権型道州制の議論が盛り上がりを見せているようです。その方向で、日本は「国のかたち」を代えることが望ましいのではないでしょうか。
地域のことは地域に任せ、権限も財源も委譲する。そして、それぞれの地域が自主独立の精神で独自の政策を展開し、競い合って日本を高めていく。社会の閉塞感を打ち破るには、中央集権体制を打破転換する地域主体の発想が不可欠でしょう。若い皆さんが、先頭に立って、新しい国・日本をつくる活動を展開されることを期待しています。
第三議・・有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
資源を持たない日本にとって、人材こそが何よりも重要であることは言うまでもありません。日本の未来を担う人材をどう育成していくか。日本においては、日本人の高い精神性と自然とが調和して、禅や俳句など、独自の美意識をもつ文化、芸術が生み出されてきました。こうした日本文化を背景に、品格と価値観を、よくわきまえた教育者が、教養を中心に教えていたのが、私の受けた戦前の日本の教育でした。
これからの日本の教育は、高い精神性や美意識といった日本人の特質を更に高めていくものであるべきでしょう。そのためには、戦前の教育の長所を思い起こし、戦後のアメリカ式教育から離脱し、日本本来の教育に移行していくことが必要です。
安倍内閣時代に教育基本法の改正がなされましたが、今後更に日本の伝統文化に適った方向に教育を改革していくことが求められるのではないでしょうか。私は日本人の精神性や美意識は、世界に誇るべきものだと考えています。
第四議・・外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。
現在の日本外交は、敗戦のトラウマによる自虐的、かつ自己否定的精神から抜け出せていないように思います。反省は大事なことです。しかし、反省も過ぎては自虐、卑屈になってしまいます。自虐、卑屈の精神では、健全な外交は不可能です。そのような考え方では、世界中から嘲笑されるばかりです。事実、いまだかって、私は「尊敬できる日本」という言葉を聴いたことがありません。
アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐわないものです。
特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、「けじめある関係」でなければならないと思います。
この言葉を、先日、私は「台湾は中国とけじめをつけて付き合わなければならない」というスピーチのなかでも使いましたが、中国の将来の不確実性を考えれば、日本も台湾も、目の前の「中国のにんじん」に幻惑されず、「君は君、我は我」という毅然とした、主体性を持った態度、そして、そうでありながら良き関係を構築することが必要と考えます。
これまで日本は、外交において、相手の主張を唯々諾々(いいだくだく)と受け止め、できるだけ波風を立てないよう留意してきたと見受けられます。しかし、残念ながら、いくら謙虚さを示しても、外国人には理解されず、そのような態度姿勢は、外国から、かえって軽んじられ、軽蔑されるということを、皆さん方はしっかりと認識しておかなければならないでしょう。今こそ日本は、自主独立の気力を持って、また、主体性を持って、いずれの国とも、積極的な堂々たる外交を展開すべきだと思います。
第五議・・古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
国の基本法たる憲法をどうするかは、今日の日本にとって大きな課題でしょう。皆さんもご承知の通り、戦勝国アメリカが、日本を二度と軍事大国にさせないために押し付けたのが、現在の日本国憲法です。日本国憲法の第九条は、日本の再軍備を禁止しています。そのため、日本はアメリカに安全保障を依存することになりました。
しかし、その実、日本の自衛隊は種々の軍事行動をアメリカの必要に応じて要請されるようになっている、いわばアメリカに、いいように使われるというのが実情ではないでしょうか。
うずくまり、行動を起こさない日本政府に対し、多くの、心ある有識者が「アメリカにノーと言える日本を」と求めていますが、日本のひ弱な指導者たちは、こうした意見を理解しようとせず、理解したとしても行動を起こす勇気もありません。気骨なき政治家ばかりで、日本は大丈夫なのでしょうか。
日本が真に自立するために何が必要であるか、歴史をふまえ、その具体策を検討する必要があります。その際、憲法問題を避けて通ることはできないように思われます。
日本では、「国民投票法」の本格的な施行(しこう)が来年に迫っているにもかかわらず、憲法審査会も機能を開始しておらず、いわば、頓挫(とんざ)しているようです。今回の衆議院選挙でも、憲法問題が本格的に論じられることはありませんでした。私の見るところ、国民の間でも、憲法問題は、ほとんど論じられず、むしろ、忘れ去られているような感じすらします。このような日本国民の憲法問題に対する無関心が、次第に「日本人としてのアイデンティティ」を不明確にさせ、国民の精神にも大きな影響を与えていくと私は感じています。
六十年以上も一字一句、改正も変更もされないのは、私には、異常としか思えません。歴史は移り変わり、時代は変化し、日本および日本の皆さんが置かれた状況も大きく異なってきているにもかかわらず、国家の根幹である憲法を放置していては、日本国家は遠からず、世界の動き、時代の動きに取り残され、衰退し始めるのではないでしょうか。
第六議・・海軍宜しく拡張すべき事。
近年、海洋国家日本が直面する世界の情勢は急速に変化しています。アメリカ一極支配が終わりを告げ、五?六の地域大国がしのぎを削る多極化世界に移りつつあります。特に西太平洋の主導権争いは、中国の軍事的膨張により、米国に大きな負担を強いています。
こうした状況下で、日米同盟をいかに運用すべきか、日本がどのような役割を担うべきか、あらためて問われています。日本の民主党は、アメリカとの間で、率直な対話に基づく対等なパートナーシップを築くことを目指しているようです。その考え方は、おおいに評価されるべきだと思います。
今こそ日本は、日米関係の重要さを前提にしつつ、日米同盟のあり方を根本的に考え直す必要があります。現在の日米同盟は、あまりにも片務的ではないか、日本が負担を背負いすぎているのではないかと思うのは、私だけでしょうか。若い皆さんはどのようにお考えでしょうか。
第七議・・御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
もともとは防衛の重要性を述べたものですが、ここでは少し視点を変えて、日本防衛にとっても、大きな影響を持つ台湾の動向について述べることにしましょう。台湾の変化に気を配らなければ、日本にとって思わぬ危険を見落とすことになるからです。
私が総統時代に掲げた「台湾アイデンティティの確立」に基づいて、台湾は民主化と近代化に向けて、大きく舵を切りました。しかし、残念ながら、二〇〇〇年以後の三回にわたる総統選挙で、台湾の民主化は進歩どころか、後退してしまっています。
先日亡くなった『文明の衝突』で有名なハーバード大学のサミュエル・ハンチンチントン教授が指摘したような、民主化への反動が生じているのです。民主化に反対する保守派が政権を掌握し、皇帝型統治による腐敗が続き、政府による国民の権利の侵害が行われています。「台湾アイデンティティ」に逆行した中華思想の浸透もはかられています。台湾政治が、今中国に傾き、ゆがみ始めていることは間違いありません。
今回の台風被害への対処にみられるように、現政権において、国民の側に立った政治が行なわれていないことを私は憂えています。
私は、台湾にとってはもちろん、日本の繁栄と安全を確保するためにも、日台の経済関係を安定させ、文化交流を促進し、日本と台湾の人々の間の心の絆を固めることが不可欠と考えています。日本の指導者の方々には、「東アジア共同体」という枠組みを考える前に、崩れつつある日台関係の再構築と強化に、積極的に力を注いでいただきたく思います。
日本が台湾を、もし軽視でもするようなことになれば、それはたちまちのうちに、日本の国の危機を意味することを認識しておかなければなりません。地政学的にも、台湾は、いわば日本の命運を握っているといっても過言ではないと思います。
このことは、もっと日本の指導者の方々は真剣に考える必要があるのではないでしょうか。「木を見て森を見ない」外交政策は、日本に重大な問題をもたらすこと必定と、私は考えています。
第八議・・金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
最後に、経済政策について申し上げましょう。私のみるところ、日本経済が「失われた十年」の大不況にみまわれた根本原因は、日本の金融政策を担う日本銀行が、一九九〇年代以降間違ったマネジメント、総量規制などをおこなったことにあります。
その後日本経済は一時的に回復しましたが、その際の経済成長はあくまで輸出に頼ったものでした。国家的プロジェクトをつくり、さまざまな分野で世界をリードするイノべーションに国家をあげて取り組むべきところを、実際には、ほとんど取り組まず、また、国内の需要不足という根本問題を放置したまま、日本は、昨年秋のリーマン・ショック以降の世界金融危機を迎えることになったのです。
経済の苦境を打開するには、日本は、インフレ目標を設定するなど、大胆な金融策を採用すべきでしょう。同時に大規模な財政出動によって経済を強化することも必要かもしれません。
日本は莫大な個人金融資産を抱える国です。この金融資産が投資資金として市場にきちんと流れる道筋をつくることが重要です。そのためには、国民の将来不安、すなわち、老後の不安をいかに解消させるか、老後の医療、年金、介護などの、「老後安心政策」を、政治家の人たちは、明確に打ち出す必要があるでしょう。そうなれば、高齢者は安心して個人の金融資産を市場に提供するようになるでしょう。
加えて、日本国内だけでなく、海外に対する投資も進めていかなければなりません。それにより、日本は世界経済に大きな貢献をすることになるはずです。
< 続き・・・>
»» 五、結び
< 戻る・・・>
»» 一、はしがき
»» 二、坂本竜馬の「船中八策」
»» 三、坂本竜馬の「船中八策」に託した江口先生の私への提言
[…] » « 李登輝 【講演録】2009.09.05 四、「船中八策」に託した私の日本への提言 […]